2013/12/11

マイケル チミノ





これまでの人生で僕が一番よく見た映画が「ディアハンター」である。
自分のクリエイティブの、オイル交換的役目として年一回ぐらいのペースで見ている。
この映画を見ると、クリエイティブに対しての向き合い方が一回リセットされ、
背筋を再び正し、本物のクリエイティブの方向に邁進する力が得られる。

この映画のリアリズムは本当に素晴らしく、監督の細部までのディテールのこだわり方、デニーロ、ウォーケンなどの名優の脇を、多くの演技未経験者をキャスティングしリアリティーをコントロールしている。
自身のクリエイティブを実現させるための映画会社へのプレゼンテーション能力にも相当に長けていたのだと想像してしまう。
そして現場でどんな困難が有ったとしても、監督として絶対にブレなかったであろう精神の太さを感じる。

この作品は1978年にアカデミー作品賞を受賞。映画史に残る伝説の名作となった。
この作品を生涯ベストという人は本当に多い。
特に男性。僕もその一人だが、この監督マイケルチミノ本人も映画になる様なかなり波乱の人生を送っている。

「ディアハンター」で大きな名声を得たチミノは、次回作「天国の門」を製作した。
この映画は南北戦争を舞台にした、4時間近くの映画。
「ディアハンター」の製作費の何十倍の予算をかけて製作された。また細部のディテールにも、もちろんこだわった結果、製作日数の大幅な延長も伴った。
満を持して公開された「天国の門」は、評論家に叩かれ公開一週間で打ち切りになり、
当時この映画を製作した映画会社ユナイトは、制作費を回収できず倒産した。

映画の父、デビッド ウォーク グリフィス、チャールズチャップリンが創設した映画会社を潰した男として、マイケルチミノはハリウッド追放になっている。
当時、制作会社のアドバイスや忠告にも作家監督となっていたチミノは全く耳も貸さなかったそうだ。

映画史に永遠に残り続けるであろう名作を30代の若さで残す一方、
自分で創ったその作品を超える環境を永遠に絶たれてしまった残りの人生、
映画だけでなく、人生の振り幅もスケールの大きな栄光と挫折。

噂では、「天国の門」の制作費の何パーセントは現場でのドラッグの費用だったという話もある。また、チミノは現在性転換して、女性になったという噂もある。

どちらにせよ、僕がモノ創りで有り続ける以上切っても切れず、やる気のスイッチを押し続けてくれるのが、マイケルチミノ「ディアハンター」なのです。

2013/12/10

アサヒカメラ/2013年12月号

「Showa88/昭和88年」アサヒカメラ/2013年12月号にて掲載。
今年がちょうど昭和88年、この年の最後の締めくくりの12月号。
是非ご覧下さい。