2015/03/18

French magazine "THE GOOD LIFE"

 it.



金子国義

金子國義が亡くなった。
僕にとってモノ創りのベースを教えてくれたのは金子先生だったと言っても過言ではないと思う。社会人の1年目にMILKの大川ひとみさんに紹介してもらったのがきっかけだった。
毎週、大森の自宅兼アトリエに緊張しながらも遊びにいった。「アナタ、顔がきたないんだから、美しいものをちゃんと知っときなさい。」とオネエ的攻撃を加えられながらも、色々な絵画、音楽、写真について教えてもらった。
先生の家には「VOGUE」「Harper's BAZAAR」の増刊号から80年代までのものがすべて揃っていて、アートディレクター視点での写真の見方などを語ってくれた。特にアレクセイ•ブロードビッチとリチャード アベドンが組んだファッションストーリーが特にお気に入りで、アベドンの写真集でよく見慣れていた写真が実際の雑誌では全く印象の違う形でのストーリーになっていたり、ロバートフランクが若いころ「Harper's BAZAAR」のために撮っていた物どりの写真、アンディーウォーホルがコマーシャルイラストレーターだった頃のイラストがあったりと、本当に僕にとって宝の山であり教科書だった。
先生はドラキュラかと思うほどの夜型人間で、ご自宅に伺うのは決まって夜中だった。家では、BGMにフランスのミュージシャン、レ•リタ ミツコのCDか、小津安二郎の映画の音声のみがながれていた。小津映画の台詞は夜が静かにゆったりと流れ、心地の良い空間になって、先生の作業もはかどる様だった。小津、川島雄三をこよなく愛し、ビスコンティー、ジャンコクトーの素晴らしさ、日本映画における撮影監督、宮川一夫の偉大さを教えてくれた。
そして僕にとって大きかったのが、鏑木清方、小村雪岱(こむら せったい)、鰭崎英朋(ひれざき えいほう)などが描いた泉鏡花の挿絵の世界を教えてくれた事。日本人として西洋文化をどう消化してアウトプットするか。日本人として生まれた以上、そのアイデンティティーをモノを生み出す人間は忘れてはいけない、そこを長い期間掛けて教えられてきたように思う。
そして相反するものをどう一つの作品に入れ込むか、”残酷と滑稽” ”神聖なものと俗物なもの” ”西洋と東洋”など「対極の美」をどう作り上げるのかを教えてくれた様に思う。
そして、息子の修さんに出会えた事にも感謝したい。彼は僕の作品の多くに被写体として立ってくれた。先生の留守中、家でけっこう大掛かりに撮影したり、こっそり先生のベンツを持ち出し撮影しにいったり、当時はバレないようにヒヤヒヤしていたけど、今となっては先生全部知っていたのだと思う。本当に色々な想いでがフラッシュバックする。
本当に金子國義に出会えて幸せだった。